ナスカ地上絵

by SL STORY

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リマ-ナスカ

<リマ-ナスカ移動>ナスカの地上絵は南米ペルーの首都リマから南450Kmに位置し、太平洋岸地域の広大な砂漠地帯にある。
この地帯はナスカ平原と呼ばれ、長さ約60Kmにも及ぶ。大昔に雨が降った痕跡はあるものの、不毛の大地で酷熱の砂漠地帯である。
バスで行くと首都リマから10時間かかる不便な所だったが、10人乗りのハイパー機で行くと片道1時間半で行ける。

リマ-ナスカ
1977 リマ-ナスカ

アエロ・コンドル社の飛行機で1時間30分の飛行、途中カンデラブロの地上絵(燭台)も見物、小さい飛行機だけに太平洋岸の風をもろに受け、良く揺れました。


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遊覧飛行機

<遊覧飛行機>地上絵観光は現地でセスナに乗り換え40分の遊覧飛行となる、高度300m上空より見るが、床に見られる部分があるわけでなく、絵を見る毎に横滑り限界まで旋回する事となる、それも、左右のお客さんに見せるために、連続で左右一回ずつ行うから遊園地の絶叫マシンより命を懸けてる分スリル?があった。

遊覧飛行機
1977 ナスカ・遊覧飛行機

絵の付近に来るとパイロットが指で指し示し”・・・の絵だ”とエンジン音に負けない大声で怒鳴る! 左右の旋回を繰り返すこと数十回、途中フィルムがなくなり、慌ただしく入れ替えながら撮影、あっという間に遊覧は終了!無事着陸、ホッ・・


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ナスカ地上絵

<ナスカの地上絵発見> 1939年、研究家がインカの遺跡調査の為、飛行機で訪れた際、偶然に発見された。
やはり人類が飛ぶ手段を得るまで発見する事が出来なかった遺産である。

ナスカ地上絵
1977 ナスカ・ナスカ地上絵

地上絵の真ん中を走るパン・アメリカン・ハイウェイ、この道路を作った時、この遺跡の存在が判らなかった?
道路脇に地上絵をみる観測塔がある、所々車の轍の跡が・・


コンドルの絵

<コンドルの絵> 地上絵最大の絵はコンドル?で長さ100mにも及ぶ、その他にも幾何学図形があるがそれらの直線で定点観測を行うと太陽や月、惑星などの軌道と一致しており世界最大の天文図とも言われている。

コンドルの絵
1977 ナスカ・コンドルの絵

嘴から尾まで長さ100m、鳥の輪郭の線は一筆書きで描かれ、直線に延ばすと1.75Kmはあるという。


絵の描き方

<絵の描き方> この大地をキャンパスに無数の動物、鳥、魚、昆虫や幾何学図形の絵が描かれている。描くと言っても絵の輪郭は深さ20B、幅60Bの砂の窪みを作り、表面の褐色の大地と異なった白い層を露出させているエッチング方式である。
作成の方法は小さな(方眼紙のマス目をイメージ)絵を描き、その後砂漠上に拡大していく方法をとったと言われている。

蜘蛛の絵
1977 ナスカ・蜘蛛の絵

蜘蛛の特徴を詳細にエッチングしている、右の3番目の足が非常に長く描かれている。


<絵の大きな疑問> マリアライヘ女史等の調査、研究により紀元6世紀頃描かれたもので、農業を行う際の暦として使った天文図である等々、しだいに明らかになってはいるが、大きな疑問・・空を飛ぶ手段を持っていなかった時代に誰に見せる為に創ったか、やはり疑問は残る。
そして、この絵の制作者達もこの絵の出来映えを確認出来なかったであろうと?

ハチドリの絵
1977 ナスカ・ハチドリの絵

ナスカの地上絵の代表的なハチドリの絵です。台地の上に描かれ、周りの砂漠の稜線がその荒涼とした風景を一層際だたせる。
ナスカの地上絵は1994年に文化遺産に登録されました。


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ナスカ・マリアライへ女史

<ナスカ> この南部海岸地帯は紀元前後ナスカの文化が栄えていた、発掘される織物、土器、工芸品にはすぐれたものがある。 ナスカの空港近くで遺跡から盗掘したものか?偽物か?判らないが、土器や工芸品を隠し持って売りにきていた、ひょっとするとワッケロー(盗掘者)かもしれない!
お墓を荒らし、土器や工芸品等々、目新しいモノを盗む人をワッケローとペルーでは呼んでいる。

ナスカ町上空
1977 ナスカ町上空

<マリアライへ女史> 現地でお会い出来、昼食をご一緒する。記念撮影、サインもしていただきナスカでの最高の出来事であった、日本に行きたいと言っておられたのでお礼にGEMの辞書を差し上げた。この時、70才は越えるご高齢であったが、まだまだ、地上絵への研究に情熱を注がれていた。

マリアライへ女史
1977 マリアライへ女史

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