「29622」米坂線から幌内線へ そして・・

by SL STORY

29622

米坂線で印象に残ったカマの中に「29622」があげられる、9600型の222番と言う所謂ぞろ目でスッキリとしたナンバープレートだった。米坂線無煙化の後、北海道に渡り幌内線等で活躍、昭和51年廃車となった。現在、坂町機関区のあった新潟県に静態保存されているが、何処かで59609と入れ替わった可能性が噂されている。その真偽は?撮影した画像で検証出来るでしょうか?

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米坂線/坂町機関区

米坂線 手ノ子駅・29622
1972.02.13 米坂線 手ノ子駅・29622

米坂線 手ノ子駅・29622
1972.02.12 米坂線 手ノ子駅・29622

坂町機関区のカマは前照灯が1灯のみで、米沢機関区のシールドビーム2灯タイプとは異なり、遠くから見ても、どちらのカマか確認出来た。朝日を受けて、磨き込まれた煙室扉が黒光りしてます。

米坂線 手ノ子駅・29622・動輪
1972.02.13 米坂線 手ノ子駅・29622・動輪

米坂線 手ノ子駅・29622
1972.02.13 米坂線 手ノ子駅・29622

米坂線 手ノ子駅・29622
1972.02.13 米坂線 手ノ子駅・29622・59663

米坂線 手ノ子駅・29622
1972.02.13 米坂線 手ノ子駅・29622

米坂線 手ノ子駅・29622
1972.02.13 米坂線 手ノ子駅・29622

米坂線 手ノ子駅・29622
1972.02.12 米坂線 手ノ子駅・29622

米坂線 手ノ子駅・29622朝日をうけて
1972.02.12 米坂線 手ノ子駅・29622朝日をうけて

幌内線/岩見沢第1機関区

米坂線時代から見るとシールドビームが1灯増設されて、幌内線の石炭列車を力強く牽引していた頃の写真。近づいて来るにしたがってナンバープレートが確認出来、29622と判ると、米坂線以来の再会に胸が熱くなった思い出がある。

幌内線 炭住街・29622
1975.02.18 幌内線 炭住街・29622

幌内線 三笠駅付近・29622
1975.02.18 幌内線 三笠駅付近・29622

幌内線 三笠駅付近・29622
1975.02.18 幌内線 三笠駅付近・29622

幌内線 三笠駅付近・29622
1975.02.18 幌内線 三笠駅付近・29622・テンダーの形に注目

29622履歴

 新製会社  川崎造船所兵庫
 製造番号  382
 製造年月日  1918,06,24
 配置機関区  長野区・直江津区・松本区・新庄区
   横手区・坂町区・深川区・岩見沢第1区
 廃車年月日  1976,01,17
 保存  新潟県立自然科学館


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59609・幌内線/岩見沢第1機関区

幌内線 三笠駅
1975.09.22 幌内線 三笠駅

岩見沢第1機関区の59609を撮影したのは三笠駅でのワンカットだけでした。この日は三笠駅周辺でD51の撮影が主体で幌内炭鉱まで行くことはなかったです。左サイドを見ると小樽築港ヤードの59609とは異なるのが判ります。

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小樽築港ヤード

小樽築港ヤード・蒸気機関車廃車群・59609・29622
1976 小樽築港ヤード・蒸気機関車廃車群・59609・29622

国鉄の鉄路から蒸気機関車が引退して数ヶ月経った昭和51年夏、小樽築港のヤードに夥しい数のカマたちが放置されていた
その中に今回の紹介されていた29622と59609が前後に繋がれていました。固有ナンバーが判る術はプレートが取り付けられた部分に書かれたナンバーのみ、59609が前、29622が後ろでした。特徴ある氷柱落とし?が29622と書かれた蒸気機関車には装備されて無く59609にありました。
小樽築港ヤード・蒸気機関車廃車群・59609
1976 小樽築港ヤード・蒸気機関車廃車群・59609

小樽築港ヤード・29622
1976 小樽築港ヤード・29622

59609のテンダー右側には次の言葉が書き残されていた

【さらばSL去りゆく鉄の勇者よ 近代化の波に勝てず引退 きょうでお別れ good-by 59609
1975.12月 岩見沢第1機関区】


この言葉を書かれたのは何時だったのか?ナンバープレートを外しペンキで番号を書いた後だったのか!過去の画像を見ると29622のテンダーに酷似してように思われる。
小樽築港ヤード・59609
1976 小樽築港ヤード・59609?

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三笠鉄道記念館

時は流れて2010年9月、恒例の北海道ゴルフの帰りに室蘭本線の栗丘駅に立ち寄りその足で三笠鉄道記念館に行ってきました。保存されている59609を写真に納めてきましたが・・・、調査不十分でした。
三笠鉄道記念館・59609
2010.09 三笠鉄道記念館・59609

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